この海岸は2000万〜1500万年前の砂岩からなる海食台地で、浸食によってできた怪岩奇岩が続いています。特に見残し海岸では、この地域独特の蜂の巣のように蝕された奇岩が連続しており、その景観は自然の芸術といわれています。一方竜串海岸では、節理の発達した奇岩が競うようにせり出していて、その上を歩くとまるで恐竜の背骨を歩いているかのように感じます。岩の形によって名前がつけられていますが、それは、見残しとはまた違ったユーモアがあります。 |
貝殻は私の生きていたあかし |
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私が生きていなかったら |
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私の貝殻はあるわけはない |
大正9年(1920年)6月27日、大町桂月は龍串を訪れている。 |
大正九年六月の半頃より九月の末まで余は土佐国中を遍路したりき。大正の今日、なほ汽車を有せざる国といふ一語にても知らるゝ如く、交通不便の為めに、土佐の景勝は未だ世に顕はれざるが、唯龍串は天下の一奇景として、少しは人に知らる。砂岩の磯山にて、数町の間、奇巌相連りて、或は立ち、或は臥す。神サン鬼斧の形容は、龍串にして、始めて其実を得たるものと云ふべし。 磯の中の磯は此処ぞと海と神手業の限り尽したりけむ
「土佐吟草」(龍 串) |
昭和39年(1964年)8月17日、高浜年尾は足摺岬及び竜串海岸を旅吟。 |
八月十七日 足摺岬及竜串旅吟 海底の海胆の生態見しことも めづらしく蚊帳吊る宿に一泊す
『句日記』(第二巻) |