2023年の旅高 知

龍馬の生まれたまち記念館〜土佐藩の身分制度〜
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高知市上町1丁目に龍馬郵便局がある。

龍馬郵便局の前に坂本龍馬の像があった。


高知城下町名今昔

 水道町


 江戸時代のはじめから、道の中央に用水路が通されていたことに由来する町名。水路は当初、この町の紺屋が共同して造ったものであるが、のち上流の杓田村に郭中堰がつくられて、住民の生活用水となった。東の郭中へも外堀の上に大樋を渡して流された。職人や商人の町で、刀工の左行秀もこの町で刀を鍛えた。幕末の志士近藤長次郎の屋敷跡がある。

高知市上町2丁目に高知市立龍馬の生まれたまち記念館(HP)がある。

入館料は300円。65歳は150円。

土佐藩の身分制度

土佐藩では、関ヶ原の戦い後に、山内家と共に土佐に入国してきた上士と、主に長宗我部家の家来であった郷士(ごうし)とを住む場所さえも違えちょった。高知城を中心とする郭中(かちゅう)には上士が住み、そこには龍馬らあの郷士は住むことはできざった。「諸侍掟」という細かな決まりごとが定められて、郷士の中には裕福な家もあったけんど、絹の衣服の着用や履きものなどにも厳しい制限があった。

町人はというと「市町定」という決めごとがあり、町人は佳作、衣服、飲食等にまで制限が加えられ、分相応に家業に精を出し、金持ちでも遊んで暮したらいかん、利益を独占したらいかんことなどが、とりきめられちょった。

龍馬と背比べ


龍馬の身長は約173cm。

土佐の皿鉢(さわち)の大皿


高知城下町名今昔

 本丁筋


 江戸時代は「上町本町」といわれていたが、明治時代に入り「高知街本町」との混同をさけるため、本町(丁)筋と改められた。城下町がつくられたとき、最初にできた基本となる道路で、他国往来の順路でもあり、西端を南に折れたところには、城下三番所の一つの思案橋番所があった。通りには才谷屋や坂本龍馬生家などがあった。

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