昭和34年(1959年)5月、ペギー葉山の歌で『南国土佐を後にして』がシングル発売された。武政英策が作詞・作曲。 |
1 南国土佐を 後にして 都へ来てから 幾歳ぞ 思い出します 故郷の友が 門出に歌った よさこい節を 土佐の高知の ハリマヤ橋で 坊さんかんざし 買うをみた 2 月の浜辺で 焚火を囲み しばしの娯楽の 一時を わたしも自慢の 声張り上げて 歌うよ土佐の よさこい節を みませ見せましょ 浦戸をあけて 月の名所は 桂浜 |
「土佐の高知のはりまや橋で、坊さん、かんざし買うを見た」のよさこい節で有名。 「はりまや橋」は江戸時代初期、堀川を挟んで商いを営んでいた播磨屋と櫃屋がお互いに行き来するために架けた私設の橋がその始まりとされています。周辺の賑わいとともに、のちに公共の橋となり、橋の上には十九文屋と呼ばれる小店などが並んでいました。五台山竹林寺の坊さんが思いをかけた人のためにかんざしを買ったのは、橋の南詰東側にあった「橘屋」という小間物屋であったと言われています。 戦後に埋め立てられた堀川は、平成10年のはりまや橋公園の改修にあわせて再現され、江戸時代のはりまや橋を再現した朱色の欄干の太鼓橋が架けられました。それに加え、明治期に実際に使われていたものを再利用した鋳鉄製の橋、自然石で造られた欄干を持つ昭和25年(1950年)に架橋された現在の橋と合わせ、ここには時代とともに移り変わった3本の橋が仲良く並んでいます。こうして、堀川はウッドデッキ沿いに四季折々の花が咲く、親しみやすい水辺に生まれ変わりました。 付近の商店街には全国的にも珍しい木造アーケードがあり、公園と一体となったイベントも開催されているなど、商店街を中心に周辺一帯を含めた街めぐりも楽しめます。 公園の南側に位置するはりまや橋交差点では、花壇などの整備により、四季を飾る鮮やかな草花が街にうるおいをもたらしてくれます。観光の途中にひと休みしたり、待ち合わせをするのに、よく利用されています。また、はりまや橋東側のビルの壁にからくり時計が設けられており、9時から21時の間の各正時によさこい節に合わせてからくりが繰り広げられます。(天候等により、休止する場合があります。) |
藩政時代、堀で隔てられていた豪商播磨屋と、富商櫃屋が互いの往来のために架けた私橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになります。当時は、簡素な木造りの橋でした。 橋は、時代とともに幾度か架けかえられ、昭和33年には南国博覧会のため、朱色の欄干が登場します。翌年、歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットしたことで、同名の映画が創られ、スクリーンに映し出された朱色の欄干が「はりまや橋」として、全国に知られるようになりました。 ここに架かる木造りの橋は、平成5年、全国から寄せられた680件の「はりまや橋に対する整備のイメージ」を基に、江戸期のはりまや橋として再現したものです。 |