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昭和42年(1967年)、古賀忠雄は日本芸術院会員となる。 昭和51年(1976年)、現代を見詰める西郷隆盛制作。 昭和54年(1979年)、古賀忠雄死去。享年77。 昭和63年(1988年)5月28日、建立。 昭和63年(1988年)8月28日、除幕。 |
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南洲翁は文政10年(1827年)父吉兵衛母政子(椎原氏)の長男として鹿児島市加治屋町で生まれました。 幼少を小吉と言い、その他隆永、隆盛などの名を使いましたが、通稱は吉之助で、南洲は号です。幼年時代は漢学の素読を受け、また造士館に学んで、太閤記や三国志、伝習録などを愛読、禅学も修めました。 翁は、藩の誤解などで2回も大島に流されましたが、天下の形勢は旧を告げ、元治元年(1864年)以降、明治維新の立役者として、「敬天愛人」の思想のもとに、大政治家、大精神家として日本の世直しのために尽くしました。 明治10年(1877年)9月24日、西南の役で被弾、從者別府晋介の介錯で終焉。南洲翁の死は、敵味方はもちろん一般国民にも深く痛惜されました。 幾歴辛酸志始堅 丈夫玉碎恥甎全 一家遺事人知否 不爲兒孫買美田 翁の数多い有名な詩の一つですが、この一詩だけでも翁の人となりに接することができます。 この銅像は昭和5T年彫刻家故古賀忠雄氏(元日本芸術院会員)が「現代を見詰める西郷隆盛」のタイトルで塑像されたものですが、制作依頼者の死亡のため、富山県高岡市の鋳造業者の倉庫に眠ったままになっていました。塑像者の御子息彫刻家古賀晟氏が翁の郷里鹿児島への建立を切望され、溝辺町商工青年達の呼びかけで町が全面的に協力、県域はもとより県外海外からの浄財で昭和63年5月28日建立、同年8月28日、除幕されました。
鹿児島県溝辺町 |
| 平成17年(2005年)11月7日、溝辺町は国分市および姶良郡内5町が合併して霧島市溝辺町となった。 |
