明治10年(1877年)、島津家は幕末から近代化を進めた山ヶ野金山(霧島市横川町)の本格的な操業を始め、加治木港から必要物資を輸送するための「金山道」を整備しました。この整備に伴い、明治7〜13年頃加治木町小山田の網掛川に架けられた石橋が、「金山橋」です。 金山道の整備は、起伏の激しかった当時の街道を新たに開削し、山ヶ野金山との物資輸送の便を良くする目的がありました。橋の築造に関する詳しい資料は残っていませんが、金山の採掘作業を近代化し動力に蒸気を用いるようになると、大量の石炭やそこで働く多くの人たちの生活物資を運ぶ必要があるため、馬車が通れるような広い道路や、頑丈な造りの橋の建設が不可欠になったと考えられます。 橋の構造は、長さ約23m、幅約4.2m、川床からの高さは約10mの、一連のアーチ橋で、同種の石橋としては県内最大規模です。上流にある「板井手の滝」と合わせた景観は美しく、橋の傍らには、川の氾濫を鎮め、側を流れる用水路の安全を祈って慶応4年(1868年)に建立された水神碑があります。
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