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正保2年(1645年)5月19日、宮本武蔵は千葉城(熊本)の屋敷で亡くなる。享年62。 承応2年(1653年)、宮本武藏死後8年目に米田天神社再建。 |
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元は加古川市泊神社の末社であった旧社殿は宮本武藏の養子宮本伊織が泊神社を改築寄進した際、旧社殿を当所へ移築したものである。当社には伊織とその弟小松玄昌によって甲田重信による三十六歌仙扁額三十六面が奉納されている。また伊織一族の大山久太郎政次によって石燈篭も寄進されている。なお、隣接する神宮寺には伊織が寄進した鰐口が保管されている。かつては泊神社棟札同文の棟札、甲冑、田原家由緒書等も奉納されていたが現存しない。武藏、伊織は赤松氏の流れをくむ田原家の出身で、当町に生まれ、武藏は伊織の父田原甚兵衞久光の弟であり、天正年間に作州の宮本無二之助一真の養子となっている。当神社南さくら公園はもと米田天神社の社有地であったが、昭和45年高砂市役所へ公園用地として寄付したものである。尚、詳細は泊神社(元氏神様)棟札に伊織貞次(小倉小笠原家筆頭家老祿高四千石)が記している。
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