『奥の細道』 〜東北〜


〜日本の道100選“おくのほそ道”〜

JR東北本線一ノ関駅西口を出ると、一関駅前交差点がある。


以前はショッピングデパート千葉久があったそうだが、今では跡形もない。

一関駅前交差点に「おくのほそ道・芭蕉の辻」の碑があった。


昭和57年8月、建立。
昭和63年4月、倒壊。
同年7月31日、再建。

隣に「日本の道100選“おくのほそ道”」の碑があった。


 昭和61年8月10日“道の日”制定の記念事業として建設省が「日本の道100選」に「芭蕉行脚の道」から一関市を選定しました。元禄2年(1689年)3月江戸を出発し、9月6日美濃大垣まで、150日約600里の行程中、5月12、13日の両日、一関に宿泊しました。

   十二日、一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。

   十三日、天気明。巳ノ尅ヨリ平泉ヘ趣。……。宿ス。『曽良随行日記』

 翌14日、「南部道遥にみやりて、……。」と松山街道(現市道岩ヶ崎線)を一路岩出山に向かいました。私たちは俳聖芭蕉、同門人河合曽良の偉大な足跡を後世に伝え、日本の道100選選定を記念して、この石碑を建立します。

私は芭蕉が平泉に泊まったものとばかり思っていた。

一関が奥州最北の宿ということになる。

 嘉永5年(1852年)3月14日、吉田松陰は中尊寺から一関へ。

山目を經て岩井橋を渡り、一關に宿す。田村右京大夫三萬石の都なり。行程十三里。


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