『奥の細道』


草加〜百代橋〜

草加の「矢立橋」から「百代橋」へ歩く。


「百代橋」


「橋名由来」の碑があった。


橋名由来

月日は百代の過客にして
行かふ年も又旅人なり

松尾芭蕉「奥の細道」

「百代橋」を過ぎると、「松尾芭蕉文学碑」があった。


 ことし、元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日、漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物先くるしむ。

 只身すがらにと出立侍るを、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそ、わりなけれ。

西村本『おくのほそ道』より

水原秋桜子の句碑があった。


草紅葉草加煎餅を干しにけり

『秋櫻子句集』(昭和6年12月刊)抄に収録の句。

俳人水原秋桜子には草加の地名を読み込んだ作品が4句あった。

いずれも昭和初期の作句である。

その中から煎餅の句を選んで刻む。

 草加ペンクラブ

 水原秋桜子文学碑建立委員会

平成13年11月23日

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