『奥の細道』
草加〜矢立橋〜
国道4号線から県道49号足立越谷線に入る。
県道49号足立越谷線は「日本の道百選」24、松並木の続く「日光街道」である。
日本の道百選24「日光街道」
松並木の散歩道
埼玉県をかたどっている。
谷古宇橋交差点の右に「矢立橋」がある。
『奥の細道』では第1日目の宿泊地が草加宿のようにも読めるが、『曽良随行日記』には「廿七日夜 カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余」と記されている。
千住から草加まで2里8町(約9km)。芭蕉の『奥の細道』の旅としては近すぎる。やはり春日部に泊まったのであろう。
いずれにしても、『奥の細道』に「早加と云宿にたどり着にけり」とあるので、草加には芭蕉像がある。
芭蕉像
芭蕉像があるだけで、何の説明もない。
宝暦13年(1763年)3月17日、二日坊は江戸を立ち、草加に泊まっている。
けさまてハ栄耀の土地にありて、今宵ハ物うらめしき寝覚也ける
明和6年(1769年)4月5日、蝶羅は奥羽行脚の途上草加で句を詠んでいる。
草加といふ宿にて
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泊れとて散らすや藤は夏ながら
| 蝶羅
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安政6年(1859年)正月25日、市原多代女は須賀川を立ち、江戸に向かう。
草 加
江戸ちかくなるや雲雀のいくところ
かねは上野か浅草か、そゞろにこゝろさはぎて、句も出ずなりぬ
『すがゞさ日記』
正岡子規の句碑があった。
梅を見て野を見て行きぬ草加まで
明治27年の句。
子規は虚子と千住街道を草加迄行き、さらに西新井の大師堂を拝み、最終汽車で帰ったそうだ。「籠さげて若菜つみつみ関屋まで」という句もある。
さゝやかなる神祠(ほこら)に落椿を拾ひあやしき賤の女に路程(みちのり)を尋ね草加に着きぬ