『奥の細道』


〜境の明神〜

遊行柳から国道294号(旧奥州街道)で白河に向かう。


栃木と福島の県境に境の明神がある。

手前の駐車場に車を停めて、写真を撮る。

境の明神


境の明神

 玉津島神社とよばれ、奥州側の住吉神社と並立している。創立は古く、天喜元年(1053年)に紀州和歌浦の玉津島神社の分霊勧請と伝える。起源は峠神として生まれ、奥州街道が開かれると交通の発達とともに発展したが、明治に入り新国道や鉄道の開通によって衰退したものとみられる。ことに明治39年12月の火災により類焼し、昔日の面影を失ってしまったが、旧東山道沿いの「追分明神」とともに道中安全の神として、古い歴史をしのばせる貴重な史跡である。

 元禄2年(1689年)4月20日(新暦6月7日)、芭蕉は遊行柳から奥州街道を通り、境の明神を訪れた。

一 芦野ヨリ一里半余過テヨリ居村有。是ヨリハタ村ヘ行バ、町ハヅレヨリ右ヘ切ル也。

一 関明神、関東ノ方ニ一社、奥州ノ方ニ一社、間廿間計有。両方ノ門前ニ茶屋有。小坂也。これヨリ白坂ヘ十町程有。古関ヲ尋テ白坂ノ町ノ入口ヨリ右ヘ切レテ籏宿ヘ行。廿日之晩泊ル。暮前ヨリ小雨降ル。(籏ノ宿ノハヅレニ庄司モドシト云テ、畑ノ中桜木有。判官ヲ送リテ、是ヨリモドリシ酒盛ノ跡也。土中古土器有。寄妙ニ拝)

『曽良随行日記』

『曽良随行日記』の「関明神」が境の明神である。

県境を越えると、福島県側にも境の明神があった。

境の明神はあったが、駐車場がない。

栃木県側の境の明神から歩けば良かった。

福島県側の境の明神はまたの機会に。

芭蕉は境の明神から白坂へ行き、白河の関を訪ねて籏宿ヘ行く。

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