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五稜郭の設計者 武田斐三郎(1827〜1880)像 |

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| 伊予・大洲藩出身。江戸や大阪で洋学を学んだ後、通訳として蝦夷地へ派遣される。箱館諸術調所教授として洋学による人材育成に当たると同時に五稜郭や弁天岬台場の建造など箱館の防備強化に貢献する。江戸に戻り開成所教授となり、維新後も陸軍士官学校教授など、生涯を通じて教育に尽くした。 |
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(1836〜1908)旧幕府脱走軍総裁 榎本武揚(1836〜1908)像 |

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| 幕臣。「長崎海軍伝習所」で航海術を学んだ後、オランダに留学して国際法・器械学などを修める。大政奉還後、旧幕府艦隊を率いて江戸を脱出。五稜郭を占領するが、新政府軍の総攻撃により敗北、投獄。赦免後は開拓使に出仕。逓信・文部・外務・農商務の各大臣を歴任した。 |
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「榎本像」、「武田像」を制作した故武内収太氏は、明治38年、北海道出身。召集され大陸に渡り軍務のかたわら中国古代美術の研究に没頭する。復員後に市立函館博物館の初代館長に就任、道南各地の考古学遺跡の発掘と同時に、博物館本館の建設に取り組む。北海道文化奨励賞、日本博物館賞、函館市文化賞をそれぞれ受賞。昭和57年(1982年)没。 |
