2008年北海道

中島三郎助父子最後の地〜中島町〜
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五稜郭から中島町へ。


中島町に「中島三郎助父子最後の地」の碑があった。


中島三郎助父子最後の地

 中島三郎助は浦賀奉行配下の役人であったが、安政2年(1855年)に幕府が創設した長崎海軍伝習所の第1期生となり、3年後には軍艦操練所教授方となった。

 維新後、明治元年(1868年)10月、彼は榎本武揚と行動を共にし、軍艦8隻を率いて北海道に来た。箱館戦争では、五稜郭の前線基地であった千代ケ岡陣屋の隊長として、浦賀時代の仲間とともに守備についた。

 新政府軍は箱館を制圧すると、降伏勧告をしたが、中島はそれを謝絶して戦闘を続け、5月16日に長男恒太郎や次男英次郎と共に戦死した。「ほととぎすわれも血を吐く思い哉」という辞世の句を残した。

 昭和6年(1931年)に、中島父子を記念して千代ケ岡陣屋のあったゆかりの地が中島町と名付けられた。

函館市

「最後」は「最期」と書くものだと思う。

横須賀市岩戸の満願寺にある芭蕉の句碑は中島三郎助の揮毫である。

横須賀市西浦賀の東林寺に中島三郎助の墓がある。

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