俳 書

俳諧荵摺』(等躬編)



貞亨4年(1687年)3月27日、大淀三千風は須賀川に着く。

相楽等躬は『俳諧荵摺』に三千風の句を望んだ。

「元禄元戊辰孟冬 東陸於東籬軒等躬撰之」とある。

元禄2年(1689年)10月、成立。

[俳諧荵摺 乾]

猶見たし花に明行神の顔   芭蕉

   行脚にて

ひとつぬきて後におひぬ更衣
   芭蕉

   雑秋

蔦の葉は昔めきたる紅葉哉
   芭蕉

[俳諧荵摺 坤]

   孟冬

商人(あきうど)のはかまみじかき時雨哉
   何云

冬枯れや只おば棄の夜の榾
   素英
 岩城小奈浜
駒痩て旭に眠ル冬野かな
   由之

凩に濁り次第の清水哉
   可伸

   我宿の三径は

一かたは雪あさましき厠かな
   等躬

梅ひとり後に寒き榾火(ほだび)
   三千風

   みちのくの名所名所心におもひこめて、先関
   屋の跡なつかしきまゝに、ふる道にかゝり
   て、いまのしら河も越えぬ。頓ていはせの郡
   にいたりて乍単斎等躬子の芳扉を叩。彼陽関
   の出て故人に逢なるべし。

風流のはじめやおくの田植歌
   芭蕉

   此日や田植の日なりと、目馴れぬことぶきなど
   有てまうけせられ侍りければ

旅衣早苗に包食(めし)こはん
   曽良

 いたかの鼓菖蒲(あやめ)折すな
   芭蕉

夏引の手引の青そ(草冠+「芋」)くり懸て
   等躬

   此二子、我草屋に莚しき、しばらく物し給ふ
   ほどに、馴し武蔵のむかしむかしより、今の心
   の奥のゆくりなき事語るまゝに、安積郡浅香
   山、あさかの沼は爰よりいづくの渡りにかな
   ど尋ね給ふめる。浅香山は日和田といふ駅を
   越えて、一里塚あなるみぎりにて侍る。あさ
   かの沼はあやしげなる田の溝などを今は申め
   るにぞ。いにしへ藤中将の伝へられし花かつ
   みの草のゆかりも、いづれのなにとしる人侍
   らはずと答ながら

(ふき)やうをまた習ひけりかつみ草
   等躬

 市の子どもの着たる細布
   曽良

日面(ひおもて)に笠を並ぶる涼みして
   芭蕉

   しら河の関をこゆるとて
   ふるみちをたどるまゝに

西か東か先早苗にも風の音
   ばせを

   誰人やらん、衣冠をたゞしてこの関を越たま
   ふといふ事、清輔が『袋草帋』に見えたり。
   上古の風雅、誠に有難おぼえ侍りて

卯の花をかざしに関のはれ着哉
   曽良

   須か川の駅より二里ばかりに石河の滝といふ
   有よし、行てみん事を思ひ催し侍れど、この
   ごろの雨にみかさ[まさ]りて河を渡る事か
   なはずといひてやみければ

五月雨は滝降うづむみかさ哉
   芭蕉

   二日三ほど経て、此滝にゆかん事をのぞめ
   れば

杜鵑(ほととぎす)滝まで送る声とゞけ
   等躬

俳 書に戻る