上島鬼貫
『鬼貫句選』(太祇編)
元禄3年(1690年)9月20日、鬼貫は大坂を出て、10月2日に江戸に入る。想像上の旅だという。 |
人の親の烏追けり雀の子 鳥はまだ口もほどけず初ざくら 彌生降の雨を 春雨のけふばかりとて降にけり 京よりいたみへ行 水無月や風にふかれにふる里へ 此薄窓より吹や秋の風 富士の形は、畫るにいさゝかかは る事なし。されども腰を帶たる雲 の今見しにはやかはり、其けしき もまたまたおなじからずして、新 なる富士を見る事、暫時にいくば くぞや。あし高山はおのれひとり 立なば並びなからん。外山の國に 名あるはあれど、古今景色のかわ らぬこそあれ。 によほりと秋の空なる富士の山 |
禁足旅記 北窓の月は遠山の曉にそむき、南面の秋日は軒をめぐる事はやし。我レこゝろあらばめでたき閑居なるめれど、いやしければたのしみのおもひみじかく、欝寥たる秋の、中々吾妻のかたにたびしたけれど、用なきに身を遠く遊ぶ事、暫老親のためにおもひければ、こしかたに見つくしたる所々、居ながら再廻のまなこをおよぼし、日々こゝろばかりを脱けてゆかば、我願ひもたり、不孝にもあらずとおもひ立ぬ。 廿日の夕ぐれ大坂に出て、伏見への船かりてのる。 我が身に秋風寒し親ふたり 廿一日、ふしみにつく。朝ぼらけ打ながめ行に、町は所々家の隣、畠になりてさびし。 伏見人唐黍がらをたばねけり 別れて關の明神にまいる。 琵琶の音は月の鼠のかぶりけり 案内する子をやとひて、三井寺より高觀音にのぼる。所々の事念比に、夜は湖水の月など、舌さへまはらずいひしも、實(げに)馴ればおとなしき物をと愛らしくて、 大津の子お月様とはいはぬかな 松本を過てもころ川に至る。人の家のうしろに柿の木ありて、 義仲塚 柿葺や木曾が精進がうしにて また膳所を行はなれて、秋の田の面の物あはれなる中に、 兼平塚 兼平が塚渺々とかり田かな この所より道を右にのぼりて、 石山のいしの形もや秋の月 もどりに芭蕉がいほりにたづねて、 我レに喰せ椎の樹もあり夏木立 長はしをわたりて、 瀬田の秋よこ頬寒しかゞみやま 廿四日、桑名にいづ。風はげしくて船こはさに宿とる。座敷は海を請たる所なり。礒よりちいさき釣ぶねの行衛おぼつかなく見やりて、蛤など燒せてこゝろのびけり。 風の間に鱸(すずき)の鱠させにけり 午のさがりに風なをりて舟だす。うち晴てそこそこおもしろかりし物を、申のかしらより雨になりてういめす。漸日のおはるころ熱田にあがりて、こよひのやどかる。 熱田にて鱸(すずき)の鱠吐にけり 廿五日、なるみの宿をすぎて行さき、尾張・三河のさかひ橋あり。おはりのかた半は板をわたし、三河の地はつもりばしなり。 廿六日、ほどなくて御油の宿にかゝる。猶行道の左右に大きなる松はへつゞき、梢ひとつになりて、日の影さへもらぬほどなり。 たびの日はどこらにやある秋の空 よし田の町にて鶉きゝて、 うづら鳴吉田通れば二階から ひうち坂といふ所に休て、 霧雨に屋ねよりおろす茶の木哉 ふた川を過行。爰にも三河・遠江の境に川橋あり。それを渡りて、 我裾は三河の露とまじりけり 白須賀こえて、荒井につく。濱名の橋のあとなつかしくて、 ことしにて濱名の橋は幾秋ぞ また夜の心になりて あの月やむかし濱名の橋の月 舟より前坂にあがりて、こよひは濱松に明す。 廿七日、天龍を渡る。 御上洛の御時は此橋舟橋になりぬと、船頭の物がたりす。げに宗苻が事を聞つたへて、なつかしくなりたり。 我祖父も舟橋おがむ秋の水 廿八日、小夜中山。 松杉のすげなふ立たる中に、朝日 影ちからなくさし入て猶心ぼそし。 けふともに秋三日あり小夜の山 江尻を過て、清見寺にのぼる。 庭上秋深うして佛閣靜に高し。海 原見やる所望めば、こゝろのび、 また心よはくなれり。 秋の日や浪に浮たる三穂の邊 興津の浦の海士の蚫とるなど、都にはなきをと見る。猶あら波のいそづたひに、道すなをならで、げに所の名もとおもふに、また古郷なつかしくて、 雜 故郷や猶こゝろぼそ親しらず 由井・かん原をこえて、富士川につく。色さへ余所の水にかはりて、船のさる事甚はやし。 不二川や目くるほしさに秋の空 よし原臥て晦日の朝、 秋の日や富士の手變の朝朗 うき嶋が原をひさしく通りて、 浮しまや露に香うつす馬の原 三しまの社を拜み奉るに、みな幾抱あらむとおもふ斗の松杉、間なく立こもりて、さびわたる神風に梢のしづく落るも遠し。眞砂はその白玉にうるほひ、御池は水の面青み立て、底おぼつかなくすごし。 雜 ちはやぶる苔のはへたる神鰻(※「魚」+「旦」) のぼりのぼりて箱根のとうげにいたる。けふ三嶋の空にいたゞきたる雲ははるかなれど、こよひはまた其うへに枕す。 十月朔日、宿を出て行。俗にこの山にて死人にあふたる例おほしと、いひならはすほどに、 雜 水海や我影にあふ箱根やま 礒はたにさいの川原あり。念佛する法師の家、所々にきこえ、往來の人の小石あまた、つみかさねたるを見るにも、子をしたふ數しられてものあはれなり。 お地藏のもすそに鳴や礒鵆 權現にまいりて、 神の留守留守とおもへば神の留守 かしの木は皆人馬にものらず。そのほか岩根道いくまがりもまがりて、中々鈴鹿の坂はこの汗にも似ず。漸小田原にくだる。 雜 氣辛勞や馬にのろもの小田原へ 實(げに)こゝろばかり行道なれば、落る事もなきにと後悔してすぐ。A href="http://urawa0328.babymilk.jp/kanagawa/sogabairin.html">曾我の里をとへば、海道とり十町ばかり左の山陰なりといふ。 さむ空にいとゞおもふや曾我の里 それより大磯にこえて、 とら御前今はつめたし石の肌 藤澤にとまりて、二日の朝遊行の御堂にまいる。看經の聲たふとく、我も無念の念佛す。 十月の二日も我もなかりけり 品川より鉄炮洲の御堂を見やりて、 むさしのは堂より出る冬の月 江戸に入て、日本橋を渡る。 いつもながら雪は降けり富士の山 嵐雪に行て宿す。去年の秋は、瓠界この庵に來て夜長く、ことしの春は、伴自が日永ふして我事いふにみじかく、また歸りていふに長し。たがひにわらつて夜もすがら兩吟す。句は其袋(※「代」+「巾」)にむかふ。 元禄三年庚午十月日 |