大島蓼太

indexにもどる

『奥細道拾遺』(大島蓼太輯)

 寛保2年(1742年)4月13日、大島蓼太は奥の細道行脚に出る。10月6日、江戸に戻る。寛保3年(1743年)、『奥細道拾遺』。

   室八島にて

糸ゆふに結び付たる煙かな
   芭蕉

入かゝる日も糸ゆふの名殘哉

鐘つかぬ里は何をか春の暮

入相の鐘もきこえず春のくれ

高久角左衛門に授る、みちのく一見の桑門同行二人、那須の篠原を尋て、猶殺生石みん、と急ぎ侍るほどに、雨ふりければ、先づこの所に留り候、

落くるや高久の宿のほとゝきす
   芭蕉

 木の間を覗く短夜の雨
   曾良

西か東か先早苗にも風の音
   芭蕉

關守の宿を水鶏に問ふ物

五月雨は瀧降りうつむみかさ哉
   翁

五月乙女にしかた望んしのぶ摺

田や麥や中にも市の時鳥

   新庄風流亭にて

水の奥氷室尋ぬる柳かな

   秋鴉亭にて

山も庭にうこき入るゝや夏座敷

小鯛さす柳涼しや海士が妻

   鶴の繪賛

鶴なくや其聲芭蕉やれぬべし

   奥州岩瀬郡、相樂伊左衛門亭にて

風流のはしめや奥の田植うた
   翁

 いちこを折て我まうけ草
   等躬

水せきて晝寐の石や直すらん
   曾良

   出羽新庄

御尋に我宿せはし破れ蚊屋
   風流

 はしめて薫る風の桾ィ
   翁

菊作り鍬に薄を折添て
   孤松

 霧立隱す虹のもとすゑ
   曾良

そゝろなる月に二里隔けり
   柳風

 馬市くれて駒むかへせん
   筆

   山形町にて

五月雨を集て早し最上川
   翁

 螢をつなぐ岸の船杭
   一榮

爪畑いさよふ空に影まちて
   曾良

 里をむかふに桑の細道
   川水

牛の子に心なくさむ夕まぐれ
   榮

 雨雲重し懐の吟
   翁

   六月十五日寺島彦助亭にて

涼しさや海に入たる最上川
   翁

 月をゆりなす浪の浮見る
   令直

黒鴨の飛行庵の窓明て
   不玉

 麓は雨にならん雲きれ
   定連

皮とちの折敷作りて市を待つ
   曾良

 影にまかする霄の油火
   任曉

不機嫌のこゝろに重き戀衣
   扇風

   直江の津にて

文月や六日は常の夜には似ず
   翁

 露を載せたる桐の一葉
   左栗

朝霧に飯焚く煙立分て
   曾良

 蜑の小船をはせ上る磯
   眠鴎

烏啼く向ふに山を見ざりけり
   此竹

 松の木間より續く供やり
   布嚢

大島蓼太に戻る