平成17年(2005年)2月28日、母親の55回忌供養として建てられた句碑だそうだ。 |
第72代内閣総理大臣中曽根康弘は旧制高崎中学(現群馬県立高崎高等学校)で一緒だったそうだ。 |
松井田北中学校から、俳句の課外授業の講師に招かれた。 高原の学校は、展望がよく、環境に恵まれている。玄関を入ると、正面に掲げられているのが、何と、私が寄贈した俳額「細野の四季」であった。 |
開田碑古りし高原春田打つ |
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落合ひて豊かに夏の増田川 |
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川なりに立つ川霧や九十九川 |
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大鷹の棲める鷹戸谷山深み |
又、校長室には、「鷹戸谷の四季」が掛けられていた。 教室に入ると、担任から数枚のカラー写真を頂いた。見れば、仙が滝と、私が建立した句碑であった。奇しくも、その前日、生徒がインターネットを操作していたところ、突然現れたそうである。 |
説明には、「平成17年2月28日、母親の55回忌供養として建てられた句碑だそうだ。今、お幾つの俳人なのだろう。」とある。
上原向山「課外授業」 |