慶長3年(1598年)、箕輪城主井伊直政は城を和田に移す。 |
慶長4年(1599年)、箕輪から白庵和尚を招請して龍廣寺を創建。 |
正面 | 青萍院常閑鬼城居士 |
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右側面 | 昭和十三年九月十七日歿 |
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鬼城村上荘太郎 |
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享年七十四歳 |
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裏面 | 昭和十四年九月男信肇建之 |
高崎市指定史跡 |
日本の代表的俳人、村上鬼城の墓である。 鬼城は、鳥取藩士小原平之進の長子として、慶応元年7月20日江戸藩邸に生まれた。幼年時代に高崎に移り住み、昭和13年にその生涯を終えるまで、この地で活躍した。 明治28年に正岡子規と書簡のやりとりを行ったことで俳句に開眼し、雑誌『ホトトギス』に俳句や写生文が掲載されるようになった。その後、大正6年に『鬼城句集』を出版するなど俳壇の中心として活躍し、数多くの優れた作品を残した。また、自らの生活を詠んだ句が多く、「境涯の俳人」と呼ばれた。 |