2009年〜群 馬〜
龍廣寺〜村上鬼城〜

高崎市若松町に龍廣寺という寺がある。
慶長3年(1598年)、箕輪城主井伊直政は城を和田に移す。
直政は和田を高崎と改称した。
慶長4年(1599年)、箕輪から白庵和尚を招請して龍廣寺を創建。
曹洞宗の寺である。
龍廣寺山門

山門を入ると、右手に村上鬼城の句碑があった。

大寺や松の木の間の時雨月
昭和45年、建立。
高崎山龍廣寺

本堂右手の植え込みにも村上鬼城の句碑があった。

泉わくやときとき高く吹上くる
村上鬼城の代表作である。
昭和42年、建立。
本堂左手の墓地に村上鬼城の墓がある。

正面
| 青萍院常閑鬼城居士
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右側面
| 昭和十三年九月十七日歿
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| 鬼城村上荘太郎
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| 享年七十四歳
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裏面
| 昭和十四年九月男信肇建之
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村上鬼城の墓
日本の代表的俳人、村上鬼城の墓である。
鬼城は、鳥取藩士小原平之進の長子として、慶応元年7月20日江戸藩邸に生まれた。幼年時代に高崎に移り住み、昭和13年にその生涯を終えるまで、この地で活躍した。
明治28年に正岡子規と書簡のやりとりを行ったことで俳句に開眼し、雑誌『ホトトギス』に俳句や写生文が掲載されるようになった。その後、大正6年に『鬼城句集』を出版するなど俳壇の中心として活躍し、数多くの優れた作品を残した。また、自らの生活を詠んだ句が多く、「境涯の俳人」と呼ばれた。
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