2009年群 馬

桐 生〜坂口安吾〜
indexにもどる

桐生市本町の本町通り沿いに「坂口安吾 千日往還の碑」があった。


坂口安吾 千日往還の碑


 『堕落論』『白痴』で戦後文学の旗手となった坂口安吾は、1952年2月ウルウ日、旧友南川潤の世話でここ書上邸に居を構えた。『夜長姫と耳男』を生み、人の子の親となり、『新日本風土記』を執筆の最中、取材旅行から戻った直後に急逝、55年2月17日早朝、48歳4ヵ月だった。通夜には小林秀雄、尾崎士郎、石川淳、檀一雄らも駈けつけた。

桐生市第一区郷土づくり推進協議会
桐  生  新  町  保  存  会

平成8年11月吉日建之

坂口安吾が桐生に住んでいたとは、知らなかった。

桐生市菱町の桐生川畔には坂口安吾文学碑があった。


坂口安吾文学碑


花の下には風吹くばかり

 平成17年(2005年)11月3日、安吾没後50周年に坂口安吾文学碑建立実行委員会建立。

 坂口安吾は、明治39年10月20日新潟市に生まれ、東洋大学を卒業。昭和21年『堕落論』『白痴』を発表して、戦後文学の旗手となった。

 伊東競輪不正告発のため桐生に旧友の南川潤を訪ねてこの地が気に入り、昭和27年2月29日桐生に移住。『信長』『夜長姫と耳男』など精力的な執筆活動を続けていた。妻三千代と長男綱男に囲まれ、生涯最も平穏であったころ、碑文の「花の下には風吹くばかり」が書かれた。しかし、翌昭和30年2月17日、突然帰らぬ人となった。48歳だった。桐生での日々は3年弱とはいえ、その存在感は大きく、今も文学愛好者の心の支えとなっている。

 桐生読書会連絡協議会、大間々読書会連絡協議会の2つの会を中心に、地元の文学愛好者が加わって、安吾没後50周年を期し、この文学碑を建立する。安吾お気に入りの散歩道であった桐生川畔、代表作『桜の森の満開の下』にちなみ所を定めた。

 坂口安吾文学碑建立委員会

昭和30年(1955年)2月17日、脳出血のために亡くなる。

わずか3年の滞在であったが桐生は安吾とゆかりの深いところである。

2009年群 馬〜に戻る