伏見、豊川、信田、王子、妻恋、田沼と合わせ、日本七社のひとつといわれているそうだ。 天治2年(1125年)、源義国創建。源義国は源義家の三男で、新田氏の始祖新田義重の父である。 承安4年(1174年)、源義経は奥州下向の折、冠の中に勧請してきた京都伏見稲荷大社の分霊を祭る。 元弘3年(1333年)、新田義貞は鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、戦勝を祈願した。 |
寛政13年(1801年)2月に奉納された俳額が2面あり、202句の俳句が連なっている。1面の俳額は願主小泉の清月堂巴陵。もう1面は春秋庵長翠奉納。 |
かけまくも倉稲の魂の神霊は往昔新田蕪城の擁護の一にして、神徳のあらたなる事はいふもさらなれは、遠近の友とちをすゝめ、神こゝろすすしかれと懸奉に |
神籠(ひもろぎ)や幾世ふりしも松の華 | 清月堂 | 巴陵 |
花の雲鞨鞁のしらへこまかなり | 世良田 | 兎月 |
雪の日や柿の枝ふりよく見たり | 世良田 | 志塩 |
押なへて眼うつりもせつ雪の山 | 八木沼 | 一魚 |
四季混雑 |
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夏草の雨にたち葉ハなかりけり | 志塩 |
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六月のあまあしたちぬ伊香保山 | 兎月 |
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静なる川のひる間やなかれ苗 | 双烏 |
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雲の峯たつころ青き世界かな | 長翠 |