2012年岐 阜

中山道太田宿〜旧太田脇本陣林家住宅〜
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祐泉寺から中山道太田宿を歩く。


太田宿は中山道六十九次のうち52番目で、中山道美濃十六宿の8番目の宿場。



旧太田脇本陣林家住宅

(国指定重要文化財)

 旧太田脇本陣林家住宅は明和6年(1769年)に建築された主家と天保2年(1831年)に建築された表門と袖塀、それに裏の2棟の土蔵から成っています。

 江戸時代に太田宿は中山道の宿場町として栄え、大名や地位の高い人が泊まる本陣と脇本陣が各1軒あり、林家は脇本陣としての役目の他に大田村の庄屋や尾張藩勘定所の御用達を務めた旧家であります。

 この建物を見ますと、主屋の両端の妻に卯建(うだつ)が建ち、ひときわ目を引きますが、これは防火壁の役目を果たすと同時に脇本陣の権威を象徴するものであります。

 又、この建物は中仙道のにおいて脇本陣としての遺構を当時のまま残している唯一の建物であり、昭和46年に国の重要文化財に指定されています。

今でも脇本陣の前に立つと「したにーしたにー」と声をはりあげながら通っていった当時の大名行列や旅人の行き交う姿が目に浮かんできます。

美濃加茂市

 元禄4年(1691年)10月9日、森川許六は彦根藩中屋敷を出て彦根藩に帰る。17日、太田宿の知人の許に泊まっている。

十七日、夜道を二里ばかり行、例の事しげきにまぎれ侍る。ゆくゆく太田のわたしに成ぬ

乗合に馬尿(ばり)つく馬や雪のくれ

こよひは太田の宿の何某のもとを敲て、木曽の寒かりしをかたり、関、岐阜の物がたりなど尋て、やがてまどろみぬ。


美濃加茂市指定有形文化財 旧太田宿本陣門



 旧太田宿の中心にあった旧本陣は、宿場の中町の現在位置にありました。明治時代になると旧本陣には太田町役場が置かれ、町の中心的な存在でした。現在、旧本陣の面影はありませんが、この門は当時をしのばせる貴重な遺構です。

 「旧太田宿本陣門」は、文久元年(1861年)仁孝天皇の皇女「和宮」が十四代将軍「徳川家茂」に嫁ぐため、江戸に向かう時に新築されたものです。このときは、旧中山道中の家並なども新築・修繕されたといわれています。

 この門は、1間の薬医門(本柱が門の中心線上から前方に置かれている門のこと)で、両袖に半間の塀が付く、格式のある端正なつくりです。昭和の初め頃に現在の位置に移築されたと言われています。建築以来、長い年月を経て痛みが激しくなったため、平成14年10月に美濃加茂市教育委員会が解体修理を行いました。

 文久元年(1861年)10月27日、皇女和宮は鵜沼宿本陣で昼休憩、太田宿に宿泊した。

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