江戸時代後期の文化2年(1805年)に完成した白河の地誌『白河風土記』によれば、源義家が陸奥に下った際、林の下でしばらく休み、うたた寝をしたことからこの名がついたと伝える。 また『八雲集』にある清少納言曽弥の歌の「陸奥のうたたね(の)森のはしたへていなをふせとりもかよはさりけり」がこの場所であるという。 かつては森であったが、『白河風土記』が編纂される頃には杉が2本と桜の若木2株が残っているのみであったという。 根元の石碑には阿部正方の「いにしえのもの見の杉も跡たえて名のみぞのこるうたたねの森」の歌が刻まれている。
白河観光物産協会 |
○うたゝねの森、白河ノ近所、鹿島の社ノ近所。今ハ木一、二本有。 |
かしま成うたゝねの森橋たえていなをふせどりも通はざりけり(八雲ニ有由) |
嘉永元年(1848年)8月21日、阿部正方は江戸に生まれる。 文久元年(1861年)、備後福山藩第9代藩主となる。 慶応3年(1867年)11月22日、没。 |