昔此の辺りが海の入江であった頃、岸辺の砂浜には、鴫や磯の千鳥が群れ遊んでいたことでありませう。此の砂浜の何処かに菅公のお舟が着いたものと思われます。 延喜元年(西暦901年)2月1日、追われるようにして都を旅立たれた菅公は、博多の津に上陸され、西の宰府道を大宰府えと向われたのであります。その道すがら、旅の疲れをお休めになった所が当神社のある辺りと、里人達によって語り継がれ、俗に「田の中天満宮」とも称され大切にされてきました。元の社殿は、長年の風霜に朽ち、僅に石垣を残すのみでありましたが、再建の気運興るや多数の奉賛協助を賜り、ここに完成をみたものであります。時は移り世は替りましても、公の学は燦として四海に輝き、徳は永しえに乾坤を照すことでありませう。
菅原神社 |
世を思い燃えつくさんと我がいのち たぎりし若き日の夢のごとしも |
昭和47年(1972年)、進藤一馬は第17代福岡市長に就任。 昭和61年(1986年)6月、歌碑建立。 昭和61年(1986年)11月8日、健康上の理由により辞職。 |
古しへの ゆかりの里に 咲く花の 色香は永久に 変らざりけり |
どの雲も | いたはられ |
薄き茜をかむりつつ | いよいよ淋しこの日日に |
いづべに向かふ | 天にひろがる |
寒き夕べを | 辛夷の白は |