2022年福 岡

北原白秋詩碑苑〜碑巡り〜
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福岡県柳川市矢留町に矢留(やどみ)大神宮がある。

参道に北原白秋の詩碑があった。


水郷柳河こそは、
我が生れの里である。
この水の柳河こそは、
我が詩歌の母體である。
この水の構圖、この
地相にして、はじめて
我が體は生じ、
我が風は成った。
「水の構圖」より

平成10年(1998年)7月、白秋会・柳川市建立。

大神宮


山門は我が産土「帰去来」より
産土の宮「大神宮」と神道詩人北原白秋

見ずならむ一度見むと産土の宮の春日を恋ふらく我は
「牡丹の木」より
神にうつ大き太鼓はその朝やとうとうとあげてゆくらつづけぬ
「夢殿」より
 白秋が最晩年に死力を尽くして作詩し、「海ゆかば」で知られる信時清が作曲したのが、交声曲「海道東征」である。この作品は、昭和15年の皇紀2600年に奉祝行事の祝典曲として、日本人の魂や起源・日本建国の神話を格調高く描いた不朽の名作である。

 しかしながら、大東亜戦争について、その大儀は「開戦の詔勅」にあったこと、又昭和16年の米国上院での「マッカーサー証言」を思い起こすことで自虐史観に騙されず・惑わされず歴史の真実を知り、我が国の悠久の歴史・伝統・文化・精神に誇りと自信を取り戻し、そして交声曲「海道東征」の復活を願い、目覚めよ日本・蘇れ日本・今一度。

ろっきゅう

北原白秋の歌碑


見ずならむ一度見むと産土の
宮の春日を恋ふらく我は

 昭和60年(1985年)1月25日、北原白秋生誕百年記念に柳川ロータリークラブ建立。

矢留大神宮


祭神は天照皇大神。旧社格は村社。

  村社、太神宮に詣でて

神にうつ大き太鼓はその朝やとうとうとあげてゆくらつづけぬ

   宮司は旧師木下登三郎先生なり。
   ぼそぼそと老いたまへり

白秋歌集「夢殿」より

帰去来


山門は我が産土、
雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、
飛ばまし、今一度。

筑紫よ、かく呼ばへば
恋(こ)ほしよ潮の落差、
火照(ほでり)沁む夕日の潟。

(し)ふるに、早やもこの眼、
見ざらむ、また葦かび、
籠飼(ろうげ)や水かげろふ。

帰らなむ、いざ鵲
かの空や櫨(はじ)のたむろ、
待つらむぞ今一度。

故郷やそのかの子ら、
皆老いて遠きに、
何ぞ寄る童ごころ。

昭和23年(1985年)11月2日、建立。

帰去来詩解説

 山門は自分のうまれ故郷である。雲は湧き騰り南風は常に吹通う明るい土地柄である。かつて自分は飛行機で訪問したことがあったが、ああもう一度、あの空を飛びたいものだ。

 筑紫よ、国の名を呼びかけると、もうそれだけで、落差のはげしい潟海が思い出のなかに見えてくる。夕日の反射を受けて光っているあの海が恋しくてならぬ。

 だが、今の自分の両眼は早や盲いて、二度とそれらをうつつに見ることはできないであろう。あの水辺の葦の芽だちも、籠飼(ろうげ)も、水かげろうも・・・

 それにしても帰ろう。鵲よ、さあ、お前と一緒に帰ろう。あの空、あの群立つ櫨の木が今一度、まっているであろうよ。

 ああ、故郷。昔馴染の誰彼もみな年老いてしまったし、それに海山を遠くへだてて年ごろ疎遠になっているというのに、どうしてこうも子供のように頑是なく、故郷に心ひかれる自分なのであろう。

(解説−藪田義雄氏)

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