水郷柳河こそは、 我が生れの里である。 この水の柳河こそは、 我が詩歌の母體である。 この水の構圖、この 地相にして、はじめて 我が體は生じ、 我が風は成った。
「水の構圖」より |
見ずならむ一度見むと産土の宮の春日を恋ふらく我は
「牡丹の木」より
神にうつ大き太鼓はその朝やとうとうとあげてゆくらつづけぬ
「夢殿」より
白秋が最晩年に死力を尽くして作詩し、「海ゆかば」で知られる信時清が作曲したのが、交声曲「海道東征」である。この作品は、昭和15年の皇紀2600年に奉祝行事の祝典曲として、日本人の魂や起源・日本建国の神話を格調高く描いた不朽の名作である。しかしながら、大東亜戦争について、その大儀は「開戦の詔勅」にあったこと、又昭和16年の米国上院での「マッカーサー証言」を思い起こすことで自虐史観に騙されず・惑わされず歴史の真実を知り、我が国の悠久の歴史・伝統・文化・精神に誇りと自信を取り戻し、そして交声曲「海道東征」の復活を願い、目覚めよ日本・蘇れ日本・今一度。
ろっきゅう |
見ずならむ一度見むと産土の 宮の春日を恋ふらく我は |
昭和60年(1985年)1月25日、北原白秋生誕百年記念に柳川ロータリークラブ建立。 |
村社、太神宮に詣でて 神にうつ大き太鼓はその朝やとうとうとあげてゆくらつづけぬ 宮司は旧師木下登三郎先生なり。 ぼそぼそと老いたまへり
白秋歌集「夢殿」より |
山門は我が産土、 雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、 飛ばまし、今一度。 筑紫よ、かく呼ばへば 恋(こ)ほしよ潮の落差、 火照(ほでり)沁む夕日の潟。 盲(し)ふるに、早やもこの眼、 見ざらむ、また葦かび、 籠飼(ろうげ)や水かげろふ。 帰らなむ、いざ鵲 かの空や櫨(はじ)のたむろ、 待つらむぞ今一度。 故郷やそのかの子ら、 皆老いて遠きに、 何ぞ寄る童ごころ。 |
山門は自分のうまれ故郷である。雲は湧き騰り南風は常に吹通う明るい土地柄である。かつて自分は飛行機で訪問したことがあったが、ああもう一度、あの空を飛びたいものだ。 筑紫よ、国の名を呼びかけると、もうそれだけで、落差のはげしい潟海が思い出のなかに見えてくる。夕日の反射を受けて光っているあの海が恋しくてならぬ。 だが、今の自分の両眼は早や盲いて、二度とそれらをうつつに見ることはできないであろう。あの水辺の葦の芽だちも、籠飼(ろうげ)も、水かげろうも・・・ それにしても帰ろう。鵲よ、さあ、お前と一緒に帰ろう。あの空、あの群立つ櫨の木が今一度、まっているであろうよ。 ああ、故郷。昔馴染の誰彼もみな年老いてしまったし、それに海山を遠くへだてて年ごろ疎遠になっているというのに、どうしてこうも子供のように頑是なく、故郷に心ひかれる自分なのであろう。
(解説−藪田義雄氏) |