2024年福 岡
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町子先生とサザエさん〜西南学院大学〜

福岡市早良区西新に西南学院大学がある。

大正5年(1916年)、福岡市大名町(現:中央区赤坂)に旧制男子中学校の「私立西南学院」を開設。

大正7年(1918年)、「中学西南学院」と改称して現在地に移転。

町子先生とサザエさん


西南学院創立100周年を記念して福岡市に寄贈。

「サザエさん発案の地」記念碑


平成19年(2007年)、建立。

 「サザエさん」の原作者、長谷川町子さんは、昭和19年〜昭和21年にかけて、福岡市(現在の西新3丁目)に住んでいました。

長谷川町子さん生誕百年記念
〜サザエさん、カツオくん、ワカメちゃんの銅像〜


令和3年(2021年)1月、設置。

 令和2年1月30日、漫画「サザエさん」の原作者である長谷川町子さんが生誕100年を迎えました。 長谷川町子さん、かつて百道の海岸を散歩しながら、サザエ、カツオ、ワカメ等の登場人物を発案し、福岡の地方新聞「夕刊フクニチ」で漫画「サザエさん」の連載が始まりました。

(中 略)
 このたび、長谷川町子さんが生誕100年を記念して、サザエさんの故郷である福岡市に長谷川町子さんの足跡を残し、また、「サザエさん通り」が地域住民に愛され、来訪者に親しんでいただくものとなることを願い、長谷川町子さんやサザエさんを愛する多くの個人。企業、団体の皆様からの寄附を賜り、通りの中心である磯野広場にサザエさん、カツオくん、ワカメちゃんの銅像を設置いたしました。

サザエさん発案の地


 サザエさんの作者、長谷川町子さんは大正9年(1920年)佐賀県小城郡の東多久村(現在の多久市)で生まれました。

 炭鉱の技師をしていた父勇吉さんが独立してワイヤーロープの製造業を始めたのに伴い,一家は福岡市の中心部に近い四十川(現在の渡辺通三丁目)に転居しています。

 自叙伝風に描いたマンガ「サザエさん うちあけ話」の中に、5歳の町子さんが当時の博多駅(現在の出来町公園)近くで迷子になり,昔の県庁(現在のアクロス福岡)前の知人の家まで泣き泣き走ったエピソードが出てきます。

 春吉小学校に在学中は腕白で有名だったようです。昭和5年(1930年)に、四十川から西新に引越し、県立の福岡女学校(現在の福岡中央高校)に進学しました。

 昭和8年(1933年)子煩悩で一家の大黒柱だった父が亡くなりました。母の貞子さんは涙にくれましたが、翌年には三人の娘の才能を伸ばすために上京します。

 ある日軽い気持ちで「田河水泡(当時,「のらくろ」で超売れっ子だったマンガ家)に弟子入りしたいな」と呟いたのを気の早い母に聞かれ,押しかけるように弟子入りを果たします。天才少女マンガ家というふれこみで雑誌に処女作が掲載された時,町子さんは、まだ女学生でした。

 卒業後5年間ほど,主に子ども向けのマンガを描いていましたが,戦時下の東京では生活が難しくなり,昭和19年(1944年)に再び福岡市西新の家に戻ることになりました。

 当時、目の前の道路(よかトピア通り)から先は,百道の海岸で、町子さんは妹の洋子さんと散歩しながら,サザエさんの登場人物である「サザエ」「カツオ」「ワカメ」「フネ」などを発案しました。

 昭和21年(1946年)4月22日,西日本新聞から独立したばかりの「夕刊フクニチ」で「サザエさん」の連載が始まりました。

 福岡の百道の浜で名前をつけられたサザエさんとその家族は、こうして生き生きと動き始めました。

 しかし仕事の上でやはり東京にいる必要を感じた長谷川さん一家は、いったんこの連載を打切り昭和21年(1946年)の暮れに再び一家で上京しました。

 その後,朝日新聞朝刊に「サザエさん」が掲載され全国で親しまれる存在となりました。日曜夕方の定番となったテレビアニメは,毎週3本のペースで昭和44年(1969年)スタートから39年たつ現在も放映を続けています。視聴者にとってサザエさん一家は永遠に変わらないお隣さんなのではないでしょうか。

 平成4年(1992年)、町子さんは72歳で世を去り、2ヶ月後に漫画家として初の国民栄誉賞が贈られました。東京都世田谷区桜新町の「長谷川町子美術館」の陳列スペースの一隅には、金色の記念盾が置かれています。表面に「家庭漫画を通じて戦後の我が国社会に潤いと安らぎを与えた功」と刻まれています。

早良区役所

福岡市博物館へ。

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