塩足市山は、貞享元年(1864年)竹野郡塩足村の大庄屋の家に生まれた。通称宇左衛門、名は清瑞。正徳2年(1712年)芭蕉門下十哲の一人、志太野坡に入門し、野坡をしばしば、その亭に迎え、その教えを受けた。市山は、片の瀬の渡船場の近くに丈日堂を建て、多くの俳人と雅交を楽しんだ。 現在、この地に建っている「むすび塚」は、市山の師、野坡の霊を祭るため丈日堂のそばに、元文5年(1740年)5月ごろに建てられていたものである。「むすび塚」は、野坡の最後の句「若水や冬は薬に結びしを」から取られたものである。 市山には、著書として「むすび塚集」のほかに「百曲(ももすじり)」(雪刀・秋虎と共編)がある。 市山の志は、その子の秀山に引き継がれ、この地方に多くの俳人を育てた。近世女流俳人である町内唐島出身の諸九尼もまた、この丈日堂で学んだひとりである。
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