2017年福 岡

隨専寺〜湖白庵比翼塚〜
indexにもどる

直方市山部の福岡直方線沿いに隨専寺という寺がある。

山門右手の弁天堂に二蕉庵直峰の句碑があった。


行くほどに月雪花の道ふかし

二蕉庵直峰(本名伴博隆)略歴

明治15年(1882年)、福岡県粕屋郡仲原村(現・粕屋町仲原)に生まれる。
明治30年(1897年)、九州鉄道株式会社に入社。
大正元年(1912年)、山部の二畳庵峰月に弟子入り。
大正3年(1914年)、峰月より山畳庵の号をもらい立机。
大正13年(1924年)、紫香の庵号を継承して二畳庵峰月と名乗る。
昭和7年(1932年)、国鉄直方機関区助役で退職。
昭和36年(1961年)、玄海吟社は直峰の句碑を建立。
昭和46年(1971年)、90歳で他界。

随専寺門前


随専寺と諸九尼・浮風比翼塚

 随専寺は古くは「瑞泉寺」と書き、一帯の旧町名が「泉町」であるように、湧水の豊富なところであった。昭和初年まで寺の周囲は蓮池であり、池の小島に弁天堂が浮かぶ風光明媚な一帯であった。寺の山号「池上山」はこのことに由来する。現在、弁天堂は寺の前に移されている。

 寺の裏手の墓地には江戸時代の俳人諸九尼・有井浮風の比翼塚がある。

 浮風の本名は有井軍治義保。直方藩士に生まれ、年少のころから俳句に親しんだ。松尾芭蕉の高弟・志太野坡の門下に入ったが、病を得て俳諧師となった。

 諸九尼は筑後竹野郡(現・浮羽郡)中原村の庄屋の妻で、名を「なみ」といった。俳句の師匠である浮風と出会い、やがて意気投合し駆け落ちした。京に登った2人は精力的に俳諧活動をおこない、多くの門下生を育てた。「諸九」は、なみの俳号である。

 浮風が宝暦12年に61歳で没すると、諸九は剃髪して各地を行脚し、俳諧活動を行った。 安永6年(1778年)直方にもどり、山部に草庵を結んで浮風の菩提を弔い、俳諧の生活を送って天明元年(1781年)68歳の生涯を終えた。比翼塚は遺徳をしのぶ弟子たちによって建てられたものである。

諸九尼画像


長生の恥も思ハぬ花見かな   諸九尼

寛政8年刊俳諧百家仙』所収

寄贈 直方ロータリークラブ
直方市教育委員会

池上山隨専寺


浄土宗の寺である。

本堂裏手の墓地を上っていくと「湖白庵比翼塚」があった。


多賀神社へ。

2017年福 岡〜に戻る