

|
旧北陸本線の柳ケ瀬トンネル(1,170m、明治17年(1884年)竣工)は明治15年(1882年)に開業した長浜―敦賀間の4つのトンネルのうちの一つ。 当時国内最長の鉄道トンネルであり、開業より2年遅れて明治17年(1884年)に完成した。その東西ポータル上部に掲げられていた扁額。東口は伊藤博文(初代内閣総理大臣)が揮毫。 |



|
明治45年(1912年)、新橋―金ケ崎(後に敦賀港駅に改称)で直通列車の運行が開始。これは敦賀港発ウラジオストク直行便に連絡した。ウラジオストクからさらにシベリアでヨーロッパまで繋がったこの路線は「欧亜連絡国際線」等と呼ばれた。 当時1か月以上もかかっていた東京―パリ間をわずか17日間で結んだ。 |
| 明治45年(1912年)5月5日、与謝野晶子は新橋駅から渡仏の旅に出る。19日、パリ着。 |

| この旧敦賀港驛舎は、かつて「欧亜国際連絡列車(新橋〜敦賀港駅〜ウラジオストク〜シベリア鉄道経由ヨーロッパ)」の発着駅として、多くの人々や文化を運ぶ重要な位置を占めていた金ケ崎驛(後の敦賀港駅)舎を再現したものです。 |
|
ユダヤ難民の上陸地 敦賀 杉原千畝夫人・幸子氏来敦記念の植樹 |

|
1940〜1941年、ナチス・ドイツからの迫害等から逃れようとしたユダヤ難民に、当時の杉原千畝リトアニアカウナス 領事代理は、人道的立場から日本通過ビザ を発給しました。 杉原氏の発給した「命のビザ」を手に、難民たちの多くは、シベリア鉄道経由ウラジオストクに向かい、日本海を渡ってここ敦賀に上陸しました。 2001年7月20日、杉原千畝氏の夫人、杉原幸子氏が来敦されたことを記念するとともに、杉原千畝氏の偉大な功績を讃え、敦賀港が果たしてきた歴史的役割を後世に伝え、リトアニア共和国 との友好と交流を希望し、ここに両国の代表的な桜(ソメイヨシノ)と樫の木を植樹しました。 |
