2022年愛 媛

児島惟兼の生誕地〜宇和島税務署〜
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JR予讃線特急「宇和海7号」松山駅


宇和島に向かう。

車窓からみた大洲城


宇和島市堀端町に宇和島税務署がある。

兒島惟兼先生出世地


児島惟兼の生誕地

 児島惟謙は、天保8年(1837年)に宇和島藩老宍戸家の家臣金子惟彬の次男雅次郎として生まれた。慶応3年(1867年)に、「児島惟兼(これかた)」と名乗り宇和島藩を脱藩、勤王の志士と交流を深め、戊辰戦争にも従軍した。明治4年(1871年)に司法省(現在の法務省)に入ると、以後裁判官としての道を歩むことになった。

 明治24年1891年)に大審院長(現在の最高裁判所長官)となると同年に起きた「大津事件」でその名を上げた。日本に立ち寄り各地を遊覧していたロシア皇太子・ニコライを、警備にあたっていた巡査津田三蔵が斬りつけたというこの事件は日本中を震撼させた。当時世界屈指の陸軍国であったロシアを恐れた政府は津田を死刑にするよう求めたが、児島は法を曲げてはならないと死刑に反対し、当時の首相松方正義と大激論を交した。結果、判決は無期徒刑(現在の無期懲役)となり政府の圧力に屈せず、司法権の独立を守り抜いたことから「護法の神様」と称された。

 宇和島城南側登城口である上り立ち門の前には昭和60年(1985年)1月に建てられた銅像がある。

宇和島市教育委員会

晩年の写真


大和田建樹の生家跡へ。

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