私の旅日記2010年

津宮鳥居河岸〜与謝野晶子の歌碑〜
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香取市津宮に津宮鳥居河岸がある。


   津宮河岸

香取神宮一の鳥居水中に建てり。(是より香取へ陸十六丁)。三社参詣の人、この河岸より上り神宮へ參詣す。津宮の名義は、當所に竈神社といふありて、香取志に、奥津彦神・奥津姫神を祭れり。此神は古事記に、須佐之男命の孫大年神の子なり。延喜式に、竈神仁座、従五位上大邑刀自、次に小邑刀自云々。やしろをもと津宮といふ。


香取神宮の一の鳥居


 宝暦3年(1753年)、横田柳几は香取神宮の一の鳥居に船を寄せ、泊まっている。

又もとの利根川に竿さし戻す。送別の吟等爰にもらす。やうやうし初夜過る頃、香取明神の一の鳥居に船を寄せたり。民家に入て臥ぬ。


 文化8年(1811年)閏2月1日、小林一茶は飯田を立って津宮より船出、源田村に泊まる。

一日
 晴 寒風 兄直対竹 北二茶月等飯田出立


 津ノ宮ヨリ出舟シテ源田村佐野屋泊

『七番日記』(文化8年閏2月)

常夜灯


 安政5年(1858年)4月4日、赤松宗旦は津宮河岸に揚がり、香取大神宮に参詣している。

四日晴 風なし
 朝日と共に船を出し
 程なく津の宮の河岸へ
 揚る。
   河岸の佐原や寄る。
   同 村田屋も寄る。
 船を佐原廻して我等ハ
 香取行。陸十八丁

赤松宗旦『銚子日記』

 明治39年(1906年)8月31日、河東碧梧桐は津宮から香取神宮に詣でた。

十里の船路に五時間を費して、さなきだに空腹に弱った身体を津の宮に吾自身でやっと舁(かつ)ぎ上げた。身体の動かんのを心で舁いであげるようにしたのである。


与謝野晶子の歌碑があった。


かきつばた香取の神の津の宮の宿屋に上る板の仮橋

第10歌集『青海波』に収録されている歌である。

 明治44年(1911年)の初夏、与謝野晶子犬吠埼を訪れて大新楼に一泊。船で利根川を上り香取神社を訪れている。

平成2年(1990年)11月3日、建立。

   香取津の宮

月見草神の鳥居は草の中

   鹿島大船津 二句

浦浪を見はるかすなり鯉のぼり

夏帽に糊光はてなくひらけたり

『葛飾』

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