文化元年(1804年)8月27日、小林一茶は雨の中を流山にやって来た。翌28日に詠まれた句である。流山で一茶と親交が篤かったのは五代目秋元三左衛門(1757〜1812)である。三左衛門は醸造業を営み、双樹と号した。 |
廿七日 村雨 流山ニ入 秋の夜や隣を始しらぬ人 廿八日 雨 越後節蔵に聞へて秋の雨
『文化句帖』(文化元年8月) |
秋元家の酒蔵に越後から出稼ぎに来た人たちの唄が流れたことを詠んだものだそうだ。句碑は明治百年を記念して建てられたもの。 |
文化2年10月12日、一茶は本土寺の「翁会」に参加、13日流山、14日布川、15日再び流山へ。 |
其日流山ニ入 |
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ちとの間は我宿めかすおこり炭 |
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炭くだく手の淋しさよかぼそさよ |
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『文化句帖』(文化2年10月) |
赤城神社には、上州(群馬県)の赤城山の土あるいはお札が流れついたという伝説があり、「流山」という地名の由来とも言われているそうだ。 |