この句碑は、江戸時代の文化元年(1804年)に行われた芭蕉忌を期して建立されたものです。正面には、この句碑を建立した今日庵元夢とその門人、可長、探翠、幾来、一鄒といった東葛地方の俳人達の名が見られます。ここに名を連ねる一鄒とは、本土寺第三十九世日浄上人のことです。本土寺ではしばしば「翁会」と称する句会が催され、小林一茶も参加しており、いくつかの句が残されています。碑面には「御命講や油のような酒五升」のほかに、芭蕉忌にちなんだ「芭蕉忌に先づつつがなし菊の花」という句などもあります。
松戸市教育委員会
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200年前の句碑だから、碑面の句は読めない。
『諸国翁墳記』に「下總國葛飾郡小金本土寺ニ在 藤風庵可長」とある。
台石には「東都今日庵門人小金原、藤風庵可長、松朧庵探翠、方閑斎一堂、避賢亭幾来、当山三十九世仙松斎一鄒、文化元子十月建之」とあるそうだ。
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松朧庵探翠が建立した句碑が妙典寺にある。
文化元年(1804年)10月10日、小林一茶は江戸から馬橋に来て、油屋大川家に1泊、11日、流山に入る。12日には流山から小金に行き、「翁会」に参加、布川に入る。
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十二日 晴 小金 翁会 布川二入
芭蕉忌に先つゝがなし菊の花
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「翁の碑」は、この時の「翁会」を期して建立されたわけである。
本土寺像師堂

夕陽を浴びている。
像師堂の手前に今日庵元夢と藤風庵可長の句碑があった。
今日庵元夢
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藤風庵可長
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世は夢のみな通ひ路か梅の花
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秤目にかけるや年の梅椿
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句碑も夕陽を浴びている。
今日庵元夢は森田元夢。
藤風庵可長は今日庵の門人で、文化元年(1804年)芭蕉翁の第百十壱回忌に当り、本堂階前に追善句碑を建立した同門の一人であり、昭和53年可長第百六拾参回忌に因み、可長より七代目の子孫、小金町住人で、当山総代永妻和男氏が先祖の供養のため、可長の師に当る今日庵元夢の筆跡を表に、可長の句を裏に刻んで、之を建立した。
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今日庵元夢や藤風庵可長の句碑を見るのは初めてだ。
境内の紅梅

紅梅の間から夕陽がのぞいている。
東漸寺へ。
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