芭蕉の句碑
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群 馬
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しばらくは花の色なる月夜かな
館林市の
茂林寺
から県立つつじが岡公園まで歩く。
思いの外遠いので、疲れた。
つつじが岡公園に芭蕉の句碑があるというので、探してみた。
田山花袋文学碑
があった。
つつじが岡公園は広い。
上州館林躑躅ヶ岡にて
つゝじ觀のあちこちしては廻り合ふ
『我は我』
歩き回って探すと、渡船のりば近くのつつじに埋もれて芭蕉の句碑があった。
芭蕉の句碑
しばらくは花の色なる月夜かな
『芭蕉句選』
(華雀編)に「
花の色なる
」とあるが、誤伝であろう。
『初蝉』
(風国編)には「
花の上なる
」とある。
明治18年(1885年)3月、荒井閑窓らが建立。
城沼北岸
「館林文学のこみち」
に荒井閑窓の句碑がある。
四世夜雪庵金羅、筆。
四世
夜雪庵金羅
(1830〜1894)は本名近藤栄治郎、本郷湯島の俳人。
亀戸天神社
の芭蕉句碑の背面に夜雪庵普成の句が刻まれている。
渡船のりばから城沼を眺める。
善長寺
が見える。
大正8年(1919年)5月4日、
大町桂月
は大須賀乙字等と共に躑躅岡を訪れた。
十二時半、館林駅に下りて徒歩す。数丁にして弁天の渡に至りしに、舟は少なくして渡客多し。空しく待つよりはとて、途を左に取りて、善長寺の渡に至る。駅より凡そ半里の途也。幅二丁ばかりの沼を隔てゝ、彼方は躑躅岡なるが、唯遊人を見て、花を見ず。一同舟にて渡る。右も左も十町ばかりは沼也。この沼、城沼と称す。鳰は唯其声を聞いて其姿を見ず。一羽の白燕沼中の筏にとまり、首を傾けて人を見る。
「館林の躑躅」
芭蕉の句碑
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