芭蕉の句碑富 山


早稲の香やわけ入る右はありそ海

滑川市四間町に徳城寺という寺がある。


なめりかわ宿場回廊12

四間町と徳城寺

 四間町は享和年間(1801〜1803)年間、人家4軒あったことに由来します。

 無縁寺裏から徳城寺に達する道路と交差し長福寺山門に至る道を、四間町道と呼んでいました。

 徳城寺は、北陸街道沿いにありましたが、明治13年(1880年)に現在地に移転してきました。今の徳城寺敷地は、加賀藩給人蔵があったところです。境内には、明和元年(1764年)芭蕉七十回忌に、翁を顕彰するために川瀬知十らが建立した有磯塚があります。碑面には芭蕉が「奥の細道」紀行の途中、当地で詠じた「早稲の香や分け入る右は有磯海」が刻んであります。

神明山徳城寺


曹洞宗の寺である。

有磯塚


早稲の香やわけ入る右はありそ海

明和元年甲申(1764年)十月十二日

 元禄2年(1689年)春「おくの細道」紀行に旅出た松尾芭蕉は門人曽良と共にみちのくから日本海側の越後を通り、旧暦7月13日越中へ足を踏み入れ、同夜は滑川で宿した。この句はこのころ詠まれたものであろう。

 翁の七十回忌に滑川俳壇を代表する川瀬知十らが句碑の建立を思いたち、有磯の浜の砂を手でさらえ、荒波のかかる自然石を荷い運んで、地元ゆかりのこの秀吟を刻み、古刹徳城寺境内に建立したものである。

 明治13年徳城寺が荒町海岸から現在地に移ったとき、句碑も共に移転し今日に及んでいる。

複製碑


早稲の香やわけ入る右はありそ海

平成元年(1989年)11月、奥の細道紀行300年記念に建立。

知十塚


天明3年(1783年)、知十の十三回忌に建立。

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