芭蕉の句碑
葱白くあらひ上たる寒さかな
垂井町垂井の玉泉寺前に「垂井の泉」がある。
垂井の泉
大ケヤキ
垂井の泉と大ケヤキ
この泉は、県指定の天然記念物である、大ケヤキの根元から湧出し、「垂井」の地名の起こりとされる。『続日本紀』天平12年(740)12月条に見える、美濃行幸中の聖武天皇が立ち寄った「曳常泉」もこの場所と考えられており、古くからの由緒がある。近隣の住民たちに親しまれる泉であっただけでなく、歌枕としても知られ、はやく藤原隆経は
昔見し たる井の水はかはらねど
うつれる影ぞ 年をへにける
『詞花集』
「葱(ねぶか)白く 洗ひあげたる 寒さかな」
という一句を残している。岐阜県名水50選(昭和61年)に選ばれている。
この大ケヤキは、樹齢約800年で、高さ約20メートル、目通り約8.2メートル。このようなケヤキの巨木は県下では珍しい。この木にちなんで、木が堅くて若葉の美しいケヤキを垂井の「木」とした。
芭蕉の句碑
葱白くあらひ上たる寒さかな
出典は『芭蕉翁發句集』。
『韻塞』には「あらひたてたる」とある。
元禄4年(1691年)10月、上方から江戸へ戻る途中、垂井の本龍寺で詠まれた句。
安永4年(1775年)11月29日、冬至に櫟原君里建立。
櫟原(いちはら)君里は儒学者。号はセッ(※「折」の下に「足」)斎。本姓は栗田。代々酒造業を営み。垂井宿本陣を務めた。君里は俳号。
明和8年(1771年)、師訂斎より孔子の聖像を譲りうけ、明倫堂を建立し子弟を教育した。
その後、明倫堂を垂井の清水のほとりに改築し泗水庵と称し、孔子の像を中心に顔子、曽子、子思、孟子、朱子の像を祭る。
寛政12年(1800年)、1月2日、78歳で没。
『諸国翁墳記』に「白根塚 美濃垂井ニアリ 五峯菴連中建」とある。
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