芭蕉の句碑
はこねこす人もあるらしけさの雪
JR東海道線大磯駅から海岸に向かうと、鴫立沢に鴫立庵がある。
鴫立庵
鴫立庵に芭蕉の句碑があった。
芭蕉翁 四時遺章
はこねこす人もあるらしけさの雪
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春たちてまだ九日の野山哉
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みのむしの音を聞に来よ草の庵
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日のみちや葵かたむく皐月雨
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安永9年(1780年)10月12日、建立。
はこねこす人もあるらしけさの雪
貞享4年(1687年)12月4日、蓬左の門人聴雪の亭に招かれた時の半歌仙の発句。
蓬左の人々にむかひとられて、しばらく休息する程
箱根こす人も有らし今朝の雪
蓬左は熱田神宮の西隣の地域。現在の名古屋市熱田区。
山口誓子は、この句について書いている。
「今朝の雪」に「箱根越す人もあるらし」と想像したのだ。この句は、箱根山に近い地点で詠われたと、誰も思うだろう。「箱根越す人もあるらし」は、箱根山を近くにして、箱根山に思いをやった趣があるからである。ところがそうではない。「芳野紀行」に出て来るこの句は、名古屋で作られた。この句を読む者は誰しも、大磯か小田原の句と思うのに、名古屋の作と聞けば、唖然たらざるを得ない。
この句碑は安永9年の建立。樹てたひとは大礒にふさわしいと思ったにちがいない。
春たちてまだ九日の野山哉
貞亨5年(1687年)1月13日の句。
初春
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春たちてまだ九日の野山哉
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枯芝ややゝかげろふの一二寸
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風麦は本名小川政任、通称次郎兵衛。藤堂藩士。
元禄13年(1700年)12月17日、没。
みのむしの音を聞に来よ草の庵
出典は『あつめ句』。貞亨4年(1687年)秋、深川芭蕉庵で詠まれた句。
日のみちや葵かたむく皐月雨
出典は『猿蓑』。元禄3年(1690年)、芭蕉47歳の時の句。
芭蕉の句の下に26人の句が刻まれているようだ。
おほつかなとの時雨よりけさの雲
| 星飯
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登る日に蝉の啼たつ野杉哉
| 烏光
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友五人けふハ櫻に暮にけり
| 呉扇
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諷ひ舞中へ櫻のちりにけり
| 書橋
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おく霜に片はれ月の野末哉
| 烏明
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こよひこそ月の朧に梅朧
| 青羅
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蕣のちらぬもあハれ初……
| 雨什
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芭蕉忌や在さん日………
| 百明
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八九間苔を見わくる清水哉
| 左明
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烏光は加舎白雄の門人。曾我野の小河原雨塘方に滞在中客死。
左明の句は榛名町番所にある芭蕉句碑に「八九間芝を見上るしみつかな」として刻まれている。
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