芭蕉の句碑
人も見ぬ春や鏡乃うらの梅
名古屋市中区大須に清浄寺という寺がある。
浄土宗鎮西派の寺である。
清浄寺は小林城跡。尾張の守護斯波氏の一族である牧長清が居城し、前津小林四千石を領した。長清の死後廃城となり、元禄年中(1688〜1704)清浄寺が建てられたそうだ。
清浄寺は尾張六地蔵2番札所。
矢場地蔵堂
矢場地蔵堂の裏に3基の句碑が並んでいた。
中央に芭蕉の句碑。
人も見ぬ春や鏡乃うらの梅
出典は『己が光』(車庸編)。
元禄5年(1692年)の歳旦句。
安永2年(1773年)10月12日、芭蕉八十回忌に一筆坊が建立。『芭蕉翁鏡塚』を出版。
『諸国翁墳記』に「尾張前津清浄寺ニアリ 一筆坊連中立」とある。
左側に「はせを」の句碑。
盆過て宵闇くらしむしの声
出典は『泊船集』。
何れの年にや未レ知。小文庫、泊船集にも見えたり。
『芭蕉句選年考』
『蕉翁句集』、『芭蕉翁發句集』、『風羅袖日記』は「元禄四未年」の句とする。
『芭蕉翁句解参考』(月院社何丸)にも収録されている。
盆過ぎて宵闇くらし虫の声
盆過ての宵闇と聞くも絶がたくさびしきさまを述て、くらしと重ねし所切々と悲し
『芭蕉庵小文庫』に「はせを」とあるが、「尼松山」の句の誤伝だそうだ。
心々にものやかなしきとよめる式
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部はいかなる時にか有けん
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| 尼
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盆過の宵闇悲し虫の聲
| 松山
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「心々にものやかなしき」は和泉式部の「鳴く虫のひとつ声にも聞こえぬは心々にものやかなしき」
寛政11年(1799年)7月、反喬舎二世殘雪坊門人東呉・南稽・素流建立。
東呉は大野村の大庄屋九世平野彦左衛門秀驕B
右側に榎本馬州の句碑。
山々に笑ハ勢てふしの高根かな
寛政5年(1793年)、建立。
馬州は尾張名古屋藩家老成瀬家の家臣。沢露川の門人。別号白梵庵。
すこし離れて巴雀と白尼の句碑があった。
梅咲いて春も落ちつく景色かな
| 巴雀
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梅咲いて先佛へと思ふかな
| 白尼
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巴雀は尾張名古屋の紙商。中川乙由、谷木因に俳諧を学ぶ。別号反喬舎。白尼は巴雀の子。
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