芭蕉の句碑


青柳乃泥に志たるゝ汐干哉

常滑市大野町の前山川沿いに市見堂がある。


市見堂

市見堂には、十一面観世音菩薩が祀ってあります。創建年月は不詳ですが、「文化4年(1807年)・・・住職仕候」の記録があります。この堂の所在地は、昔、牛馬の市がたったので市場町と呼ばれ、その市を見守る観音の堂として市見堂の名があります。幕末、明治にかけ、この堂を拠点にして俳句活動が活発に行われました。

市見堂に芭蕉の句碑があった。


青柳乃泥に志たるゝ汐干哉

出典は『炭俵』

「上巳」と前書きがある。「上巳」は陰暦3月3日、桃の節句のこと。

『泊船集』俳諧一葉集』には「重三」とある。

元禄7年(1694年)3月、芭蕉51歳の時に詠まれた句。

 この句碑は、大野の俳人杉山巨扇が芭蕉の直筆を写して建てたものといわれています。これに並んで「新四国開祖の碑」が建っていますが、これに明治の始め、この地に泥柳舎を造り俳句活動を展開した小川月茶とその弟子岩橋水琴の句が刻まれています。

巨扇は大黒屋三代杉山利兵衛。

 寛政11年(1799年)7月、大野村の東呉は名古屋の清浄寺に芭蕉の句碑「宵闇塚」を建立。

東呉は大庄屋九世平野彦左衛門秀驕B

「新四国開祖之碑」


碑にさく俤や苔の花
   小川月茶

雨の月うつすら見えて時鳥
   岩橋水琴

明治31年(1898年)4月、建立。

芭蕉の句碑に戻る