「芭蕉句碑」
一疋のはね馬もなし河千鳥
栃木県下都賀郡野木町に野木神社がある。
野木神社
主祭神は莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。
延暦年間に坂上田村麻呂が蝦夷平定の帰途、社殿を造営したと伝えられるそうだ。
町指定文化財公孫樹
坂上田村麻呂参詣の記念に植えられたものと伝えられている。
公孫樹の木の下に芭蕉墳があった。
一疋のはね馬もなし河千鳥
徳雨が所持する芭蕉書簡の句。
宝暦10年(1760年)11月3日、徳雨建立。
徳雨は下総国葛飾郡関宿の人。梅田氏。祇徳て門人。
句碑建立を記念して『千鳥墳』を刊行。
明和2年(1765年)、白井鳥酔は野木神社に詣で「河千鳥塚」を見ている。
自然石正面に「一疋のはね馬もなし河千鳥」といへるはせを翁の遺章とて□す。アゝ鼻祖の徳光今海内に輝きて、かゝる邊際に至る迄景慕する事の尊くて泪睫にあまり侍る。聊鄙言を墓下に諷ふのみ。
秋のくれ馬も千鳥もなかりけり
| 鳥醉
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明和9年(1772年)、横田柳几は野木神社に参詣、「川千鳥塚」を見ている。
社内念仏堂の側に徳雨子か建られし祖翁の川千鳥塚あり
『諸国翁墳記』に「千鳥塚 日光道中野木野神ニ在 徳雨建」とある。
栃木県では佐野女子高校の「菖蒲塚」に次いで古い「芭蕉」の句碑であろう。
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