芭蕉の句碑
ほとゝきす鳴くや五尺のあやめ草
佐野市金屋下町に県立佐野女子高校がある。
県立佐野女子高校の正門を入ると、左手に芭蕉のあやめ塚句碑があった。
ほとゝきす鳴くや五尺のあやめ草
元禄5年(1692年)、芭蕉49歳の句である。
ほととぎす鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな
『古今和歌集』(詠み人知らず)
ほとゝぎすなくや五尺のあやめぐさ
此句は「ほとゝぎすなくや五月のあやめぐさ」といふ哥の詞を取ての句なるべし。
ほとゝきす鳴や五尺のあやめ艸
「郭公鳴や五月のあやめ草あやめもわかぬ恋をする哉」此詠によれる歟。あやめ草ハ此鳥の鳴渡る比の掛合にして、五尺の二字ハ五月の響もおかしけれハなり。余情ハ雨後のあかつきと見るへし。道因法師の歌は五尺のかつらに水を掛たらんやうに詠へしといへる事あり
芭蕉の句碑が高校にあるのは珍しい。
芭蕉のあやめ塚句碑
佐野市指定史跡
宝暦6年(1756年)に蕉門派の俳人たちによって建てられた芭蕉の句碑で「ほとときす鳴くや五尺のあやめ草」と刻まれている。碑は最初相生町金成院のあやめ池のほとりに建っていたものである。その後、佐野館(若松町)雨宮正秋宅の庭先に移され、さらに現在地に移された。
高さ1.1mの自然石に刻まれたもので、おそらく芭蕉句碑としては最古のものであろう。
佐野市教育委員会
『諸国翁墳記』に「菖蒲塚 下野佐野天明ニ在 連中建」とある。
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