芭蕉の句碑


雲折々人をやすむる月見かな

村上市加賀町に稲荷神社がある。


稲荷神社


参道の左手に芭蕉の句碑があった。


雲折々人をやすむる月見かな

芭蕉の句碑の左に素仙の句碑があった。


芭蕉の句碑と奥村素仙の句碑

 村上市内には、芭蕉の句碑が村上地区に2箇所(加賀町・上片町)と岩船地区(岩船神社)に2つが現存している。

 大小2基の句碑のうち大きい方は

雲折々人をやすむる月見かな   はせを

 この句は、出典は芭蕉七部集『春の日』にあり、貞享2年(1685年)の作とされている。

 小さい方は、

月すゞし松かさ落ちて水の隈   素 仙

 この句は、村上小国町在住の奥村覚左衛門の詠まれた句で、俳号は素仙。

 この2つの句碑は、天保14年(1843年)10月に、芭蕉の百五十回忌、素仙十七回忌追恩の為に加賀町観法院の別当であった白露観夢為坊が建立したもので、稲荷神社脇は夢為坊の住んでいた観法院の門外であった。

 夢為坊は、神澤氏、名は快安、梅応或いは白露観と号し、天保14年10月12日(芭蕉の祥月命日)に、羽黒町萬福寺に於いて両句碑の供養句会を開き、『月廼鏡』と題して俳書を刊行した。

―― 山貝如松著『見聞雑記』より抜粋 ――

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