貞亨5年(1688年)6月8日、『笈の小文』の旅の帰路、岐阜の油商賀島善右衛門の別邸に招かれた際に詠んだ句だそうだ。賀島善右衛門は岐阜蕉門の一人で、俳号鴎歩(おうほ)。
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明治35年(1902年)4月1日、建立。
撰者は春秋庵幹雄、半香舎梅理。
「春秋庵幹雄」は三森寛。明治25年(1889年)、十一世春秋庵主となる。
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明治43年(1910年)10月17日、82歳で没。
「半香舎梅理」は本名須藤元誓。俳諧を父梅麿(二世半香舎)に学び、五世を嗣ぐ。
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吉高の「蛙塚」に梅理の句が刻まれているようだ。
昭和4年(1929年)、81歳で没。
裏にも句が刻まれている。
たまたまに錦も交る落葉哉 松月舎光東
平成22年(2010年)3月23日、印旛村は印西市に編入合併した。
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