芭蕉句碑〜存 疑〜

蛙子は目すり膾をなく音かな
印西市吉高の富井氏宅に「はせを」の句碑があるというので、行ってみた。
富井氏宅前の畦道に「はせを」の句碑があった。

蛙塚
この塚むかし正保の頃富井外記てふ人
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ありて多くの蛙を埋めしと言傳ひぬ
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蛙子は目すり膾をなく音かな はせを
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出典は『俳諧一葉集』だが、存疑句である。
明治25年(1892年)4月15日、建立。
碑陰に故半香舎一世此君園、故二世梅麿、故三世有隣、故幽谷舎梧井、精香舎東水、竹窓茶烟、玉波亭萩池、江南亭梅理の蛙の句が刻まれているようだが、読めない。
一世此君園は吉高村の医師前田宗a。俳号梅丸。田川鳳郎の門人。赤松宗旦は宗aに師事し、医学や漢学を学んだという。
天保12年(1841年)、没。
二世梅麿は前田宗aの子元a。
三世有隣は萩原の林多一郎。
精香舎東水は本埜村下井新田の小池権四郎。半香舎四世を嗣ぐ。
江南亭梅理は前田元aの三男で分家した須藤元誓。半香舎五世を嗣ぐ。宗像神社にある芭蕉句碑の撰者。
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