芭蕉の句碑


杜若語るも旅のひとつかな

知立市の「明治用水緑道 西井筋線」を行く。


明治用水緑道 西井筋線


この緑道の下にはパイプがうめてあり、明治用水(西井筋)が流れています。明治用水は江戸時代(1808年頃)に都築弥厚が計画し、岡本平松・平松与左衛門の努力によってできた用水です。(西井筋は明治14年=1881年完成)

芭蕉の句碑があった。


杜若語るも旅のひとつかな

平成7年(1995年)11月、知立市市制25周年記念に建立。

この句は、芭蕉の紀行『笈の小文』に収められたもの。元禄元年(1688年)4月、大阪の保川一笑宅において作った句である。杜若を眼前にして、『伊勢物語』で有名な三河八橋の杜若を話題にしたのであろう。芭蕉はそれまでに東海道を少なくとも2往復半しているが、杜若を見たと思われるのは、延宝4年(1676年)夏、郷里へ赴いた折であった。『伊勢物語』の業平が望郷の思いに涙したという八橋の杜若は、久しぶりに郷里に赴く芭蕉にもさまざまな感慨を起こさせ、いつまでも心に残ったのであろう。一笑宅の杜若も見事だが、10年以上も前に見た八橋の杜若は、今も忘れられないというのである。なお、この句の芭蕉自筆のものが伝わらないので、この碑は乙州編の『笈の小文』によった。

(監修 愛知教育大学教授 岡本 勝)

貞享5年(1688年)9月30日、元禄に改元。

保川一笑は伊賀の人。当時大坂に住んでいた。

昭和14年(1939年)4月16日、種田山頭火は明治用水を歩いている。

  明治用水々源池

 さくらがちれば酒がこぼれます


来迎寺一里塚

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