芭蕉の句碑


この道やゆく人なしに秋のくれ

行方市内宿に化蘇沼稲荷神社がある。


化蘇沼稲荷神社


文明10年(1478年)、創建。

 文化14年(1817年)5月25日、小林一茶小川から化蘇沼稲荷神社を訪れている。

帆津倉の俳人洞海舎李尺の氏神という。

[廿]五
 晴 小川ヨリ四里馬ニて送ラルゝ


 化蘇根(沼)イナリ社有 李尺氏神ト云 帆津倉ニ泊

『七番日記』(文化14年5月)

文政元年(1818年)、李尺は俳書『ありのまゝ』を編集。

天保6年(1835年)9月4日、李尺は74歳で没。

社殿の右手に芭蕉の句碑があった。


この道やゆく人なしに秋のくれ

出典は『其便』(泥足編)。

元禄7年(1694年)9月26日、浮瀬亭で巻かれた半歌仙の発句である。

安政5年(1858年)10月、洞海舎凉谷社中建立。

『諸国翁墳記』に「二見塚 常州行方郡武田化蘇沼稲荷社内在」とある。

洞海舎凉谷の句も刻まれている。

名月も昨日になりぬ峰の松

「凉谷は李尺の子」とする説もあったが、李尺の別号であるようだ。

社殿の奥にもうひとつ芭蕉の句碑があった。


永き日も囀たらぬひばり哉

出典は『続虚栗』

 『笈日記』(尾張部)、『陸奥鵆』『泊船集』『風羅袖日記』には「永き日を」とある。

貞亨4年(1687年)、芭蕉44歳の句。

 『諸国翁墳記』に「雲雀塚 常州行方郡武田化蘇沼社内在 連中建之」とある。

山居由之を始め、洞海舎凉谷社中の俳人71名の名が記されている。

芭蕉の句碑と並んで山居由之の句碑があった。


冬牡丹水も薪も裏の山

由之は『ありのまゝ』の序文を書いている。

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