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国道120号から片品中学校に向かって400m程入ると、民家の庭の片隅に「芭蕉句碑」と書かれた標柱があった。 |

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花にうき世我が酒白く飯黒し 「世の人は花に浮かれ楽しんで、美酒や白米で楽しい生活をしているが、自分はその花をよそに憂き世に生きて濁酒を飲み、よく搗いていない飯を食って貧しく暮らしている。こうして貧しく暮してみると、古人が言った酒の聖なることとか、銭の神なることとかが、身に染みてわかってくるようだ」の意。 漢詩文に句を対置するゆき方は、延宝以来其角が常用したことであるが、この句では一種の連句的な発想になっているのである。この句の「我が酒白く」云々は、貧しい生活にいて浮世を白眼視したものでもなく、羨んだものでもなく、貧しさをあるがままに受け容れて、やや自ら歎きながら、世外の自分をしずかにながめたみているこころである。 『虚栗』(天和三年五月芭蕉跋・其角編)に歌仙の発句として所出、脇は「眠を尽す陽炎(かげぼし)の痩―一晶」。歌仙の連衆の顔ぶれおよび二年暮に芭蕉庵が焼失している事実から考えて、二年春と推定される。 |
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この句碑は、現在鎌田の大松(今は枯れて古株ばかり)よりやゝはなれた畑の中にある。かなり大きな自然石に彫られている。聞くところでは、もとは、菅沼から東小川へゆく、松並木にあったものを、こゝへ移したものだという。
『片品村史』 |
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天和三年「虚栗」の句は『我酒白く食黒し』だからその中、下を勝手に転倒した以上もはや正銘の芭蕉句ではない。その上州東入式芭蕉句碑ともいうべきものが利根郡片品村鎌田の旧東小川道一本松に立っている。縦三尺、横三尺五寸の川原石を少しみがいた堂々たる碑材で彫りの浅いのがやや欠点。明治十八年文旋・狸斐の建立に成り県下にただ一つの珍しいもの。隣合せの野ダメがプンとにおって来て尿前の関の一夜を思わせるのもお愛敬である。
『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著) |
