翁 塚


浄願寺〜「翁塚」〜

白山市美川南町に浄願寺という寺がある。


浄願寺の門前に「翁塚」の碑がある。


平成5年(1993年)3月、美川ライオンズクラブ建立。

 翁塚とは、各地の俳人が俳聖松尾芭蕉追悼のために建てた碑で、当寺境内のものは当町の俳人若推が、藤冢神社下世尊院の山門前に寛保3年(1743年)11月に建立したものである。後、明治維新に際し当寺に移され、現存している。

 若推の姓は卯尾、寛延2年8月歿。子孫は明らかではない。初め若水と号したが、後年仏門に入った頃から若推と改めた。句の初めて見えるのは、正徳5年の『此格集』で、寛延元年の『夏の白根』を最後に、30年の俳諧生活中20数巻の俳書に句をならべている。美濃・伊勢・京都など諸国を行脚し、手取川岸に庵百草堂を結んで生涯を送ったといわれている。

 松任の俳人加賀の千代に俳意を授けたのも若推である。

浄願寺の境内に「翁塚」があった。


芭蕉翁

「曽良」「北枝」の名も刻んであるようだが、判読不能。

碑陰に若推の句が刻まれている。

撫てしる風雅の肌やかへり花

石川県で最も古い芭蕉の碑であろう。

 享保12年(1727年)、廬元坊里紅は松任の千代に迎えられ連俳、若推も参加している。

手取川を渡り、小舞子キャンプ場へ。

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