芭蕉の句碑


夏来てもたゝひとつ葉の一葉哉

岐阜市長良法久寺町に法久寺という寺がある。


法久寺


浄土真宗本願寺派の寺である。

本堂の左手に芭蕉の句碑があった。


夏来てもたゝひとつ葉の一葉哉

出典は『笈日記』

貞享5年(1688年)、『笈の小文』の旅の帰路岐阜付近の山中で詠まれた句。

妙照寺の庭の奇岩絶壁に一つ葉の叢生するのを見て吟じたという。

安永2年(1773年)4月、鳰亭連中建立。

『諸国翁墳記』に「一ッ葉塚 濃州長良法久寺アリ 連中建」とある。

法久寺史跡

芭蕉翁一ッ葉塚句碑

  建立 癸巳安永二年孟夏上浣 鳰亭連中

夏来てもたゝひとつ葉の一葉哉

   芭蕉 貞享5年(1688年)

○鳰亭連中(濃州芝原北方の産 五竹坊宗師)

「歸童老仙」とも言われ、本巣郡北方の俳句の弟子連中で法久寺十八代住職慈観法師(俳名季竹)も含まれていた。この連中で芭蕉翁の法要を当寺にて勤修した折に建立されたものです。(1773年)

五竹坊は美濃俳人田中東伯のことで、芭蕉の一番弟子各務支考の弟子芦元坊の門下で折指の俳人なり。

○美濃の地は芭蕉の弟子各務支考の産れた地でもあり(現・岐阜市北野)「山県連中」としても有名で芭蕉も4度にわたり、この美濃を訪れている。

利生山法久寺

 貞亨元年(1684年)、芭蕉は「野ざらし紀行」の旅で、大垣の木因亭に泊まる。

 貞享5年(1688年)6月15日、芭蕉は妙照寺の住職己百の案内で岐阜に訪れ、妙照寺に約1ヵ月滞在したという。

 元禄2年(1689年)8月21日、芭蕉は「奥の細道」の旅で大垣に到着。

 元禄4年(1691年)、芭蕉は近江から江戸へ帰る途中で大垣に立ち寄る。

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