「芭蕉句碑」存 疑


ほとゝきす啼や黒戸の濱ひさし

富津市青木の国道16号沿いに青木自治会館がある。


青木自治会館の傍らに名も知れぬ小さな祠がある。


寛元4年(1020年)、菅原孝標女は父の任果てて上京。

 その夜は、くろとの濱といふ所に泊まる。片つ方はひろ山なる所の、砂子はるばると白きに、松原茂りて、月いみじうあかきに、風の音もいみじう心細し。人々をかしがりて歌よみなどするに、

   まどろまじこよひならではいつか見むくろどの濱の秋の夜の月


「くろとの濱」は千葉市幕張の黒砂海岸とされるが、富津の海岸とも言われる。

京に上るのに、富津の海岸では方向が反対である。

小さな祠の左に「はせを」と書かれた句碑があった。


ほとゝきす啼や黒戸の濱ひさし

『もとの水』『風羅袖日記』俳諧一葉集』に収録されているが、存疑句。

   子規なくや黒戸の濱庇

愚考、黒戸濱は上総也。良玉集に「まどろまじこよひばかりはいつか見む黒戸の濱の秋の夜の月」、黒戸の濱の濱庇とたゝみかけて句作り玉ひし濱ひさしは真砂の波にかけ落て尚ごとく見ゆるをいふ。

『芭蕉翁句解参考』(月院社何丸)

『芭蕉句鑑』には「貞享三寅年」に収録されている。

明治3年(1870年)5月、建立。萩原秋巌書。

碑陰に等栽・幹雄・乙彦という明治期を代表する大宗匠の名が並んでいる。

 「等栽」は佳峰園鳥越等栽。「幹雄」は春秋庵三森幹雄。「乙彦」は対梅宇萩原乙彦。書家萩原秋巌の養子となる。

「黒戸の浜」は九十九里浜をさすものとも考えられていたようである。

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