芭蕉の句碑


けふ婆可里人もとし与礼はつしく連

安城市安城町城堀に安祥城址公園がある。


史蹟安祥城址


 天文18年(1549年)3月10日、今川義元が安祥城を攻め織田信宏を人質にし、織田家の人質となっていた松平竹千代(後の徳川家康)と笠寺観音境内で人質交換、竹千代は駿府今川家の人質となった。

天正9年(1581年)、徳川家康は安祥城を廃城とする。

寛文4年(1664年)、安祥城本丸跡に安祥山大乗寺を建立。

大乗寺山門


大乗寺本堂


本堂手前左手の築山に芭蕉の句碑があった。


けふ婆可里人もとし与礼はつしく連

出典は『韻塞』(李由・許六共編)。

 元禄5年(1692年)10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙の発句。

明治31年(1898年)11月、旧碧海郡の「常磐社」建立。

芭蕉の句碑に戻る。