旅のあれこれ
堀部安兵衛ゆかりの地
寛文10年(1670年)、越後国新発田藩(現:新潟県新発田市)溝口家家臣中山弥次右衛門の長男として生まれる。 天和3年(1683年)、父中山弥次右衛門は溝口家を追われ浪人となる。 元禄7年(1694年)2月11日、菅野六郎左衛門が高田馬場で果し合いをすることになり、武庸は助太刀を買って出て相手方3人を斬り倒した(高田馬場の決闘)。 元禄7年(1694年)7月7日、中山姓のままで堀部家の婿養子に入ることを決める。 元禄10年(1697年)、堀部金丸が隠居し、武庸が家督相続。堀部姓に変える。 元禄14年(1701年)3月14日、浅野長矩が江戸城において刃傷事件を起こす。翌日切腹、赤穂浅野藩断絶。 元禄15年(1702年)12月15日、大石内蔵助をはじめとする赤穂義士が吉良邸に討ち入る。 元禄16年(1703年)2月4日、切腹。享年34。高輪の泉岳寺に葬られた。 |